陸上では人並みの体力を持っているのにプールでは25メートルも泳げず息があがってしまい、「泳ぎのセンスがない」と諦めている人がいる。人にはそれぞれ天性とも言えるセンスを持っていて、どう転んだってできるはずがない…と思っている人がいる。けれども、僕はそれを肯定していません。何故なら、偉人本田宗一郎氏の「やってもみずに出来ないと言うな!」という言葉を信じているからです。 F1で水冷式エンジンが主流の中、空冷式エンジンが表彰台に立ったことは、この「不屈の精神」があればこそだと思うんです。だから、僕は「負け犬」が嫌いです。自分の願望を放棄したり、現状を卑下したりして自分のメンツを立てることばかり考える人。もちろん開き直りは大切ですが、それがウケ狙いや、言い訳で終わってしまうのだとしたらとても悲しい。結果を出せない人はいないはずですから…。
「ハルウララ」も負け犬(馬?)でなく、勝つ努力をしているからこそ試合に負けても勝負に勝つのだと思います。「オグリキャップ」だって、雑種馬だからサラブレッドには勝てないと自分のセンスを磨かなかったらああはならなかったでしょう。
人には得手不得手がありますが、それは才能がある・ないではなく、好きか・嫌いか、又は、努力する気があるか・ないかだと思います。「10歳で神童、15歳で天才、20歳過ぎればただの人」ですから、たまたま人より秀でるものをそのとき持っていたとしても、そのセンスは磨き続けなければ意味がないのです。 「センス」を「願望・可能性」と訳せば、「好きこそものの上手なれ」で、好きなことに対する情熱こそが、幸せが来るセンス:「ライ(来)センス:資格」を得ることだと思うのです。だから、「泳げるようになりたいけどセンスがない」と諦めて「負け犬」宣言せず、「今は泳げないけど泳げるよう頑張る」と言う人を僕は尊敬します。赤ん坊は立てないと思う前に立とうとしますよね。しりもちついたり、頭から落ちたりしながら次第に筋力が付き、要領がわかってきて立てるようになります。僕はこれが原点だと思います。
http://papyrus-net.com/game.html http://papyrus-net.com/seijitu1.html この理論に僕の意見を言わせてもらうと、「誠実な仲間を増やすための誠実な投資」があればナッシュ均衡には陥ないと思います。「♪いい奴ばかりじゃないけど、悪い奴ばかりでもない♪」ですから。
「憧れる・気に入る・夢見る・期待する・希望する…」などの肯定的感情が起こる対象は全て本人自身の持っている集団的一般要素のセンスなのです。「願望」こそが「センス」であり、努力によって「ライセンス」を得るのです。ちなみに、「競輪競馬などで一攫千金」は希望ではなく「無謀」といい、遊びでできないなら「破滅のセンス」なのだと思います。
「金持ちが金を呼ぶ」は、逆に言い換えれば「願望はあるけど、できない・やれない・楽したい」と「心を貧乏」にしている人の所へは「心の裕福さ」は与えられないことになります。「お金」という資本はなくても、「心・頭脳」の資本には際限がないはずです。その資本を最大限に、有効的に投資することによって最大の成果をあげることが成功へ導いてくれると思います。「努力して無駄になることはない」ですから、自分の可能性を信じて損はないはずです。
「悪銭身に付かず」ですから、一時的に「楽に(稼)ぐ」ことはできても、長期的に「(儲)ける」ことはできないのだと思います。コピペサイトなどはいい例でしょう。表面的なインプット・アウトプットだけで生き残れるほど世の中甘くありません。事実として、悪銭で業は増えても幸せになった人はいないのですから。 僕は『得手に帆をあげて』、誰かにセンスを提供することが出来れば、いつか自分に返ってくると信じて、「幸せになる資格」を得る努力をしていきたいと思います。 written by ayanpa Posted by ayanpa | でら偏見 |2005年08月24日 | Comments [0] | Trackbacks [0] トラックバックこのエントリーのトラックバックURL: コメントコメントしてください |
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